実在都市作成日記  NAGOYAを再現しよー  by tkiyoto
その37
10月23日(木) 地図に歴史あり

 今苦戦しているのは、元となる地図のデジタル化である。まぁデジタル化と言ってもスキャンして画像とする(そしてグリッドをつける)だけなのだが、これが元の地図が(だいたい)108cm×84cmと巨大なので、(A4※)までしか対応してないスキャナで)スキャンして切り張りしてサイズを合わせたりするのにとまどっているのである。いっそのこと目分量にしてしまおうかと思うぐらいだ。


 さて、前回需給バランスの取れる街をつくりながら次第にシミュレーションを動かしてお金を稼ぐ、と言う結論に至ったわけだが、ではその需給バランスの取れる街とは名古屋で再現する場合、どこを考えればいいのか、現在の土地利用の状況を見てみるとこんな感じになっている。



※:210mm×297mmの紙。パソコン使っている方はお馴染みの紙。高校まではB5が標準だったのに大学や会社ではA4というのは非生産ではないのかという声がなきにしもあらず。
青い部分が工業地区です・・・・少ないじゃないか

 前回も少し触れたように、南側に工業地区が集中しているのがわかる(かなり少ないけど※2)。
 ご存じの方も多いでしょうが、SimCity3000では、ゲーム開始当初は工業地区の方が商業地区より強い需要があり、年を追うごとに、また教育レベルが上がるごとに需要が工業から商業へとシフトしていく構造となっています。これは、近代から現代の流れをシステムとして再現しているためでもあります。


 すると、(区画しても発展しないのだから)今から商業地区をたくさん作ってもしょうがないわけで、やっぱり工業地区の開発が最優先、と言う結論に至るわけです。そんなわけで、今までつくってきた名古屋城周辺から名古屋港周辺まで一気に南下することにします。そして、時代変化のシミュレーションプログラムが作動したら工業地区を減らしていけば良いのです。
 そんなにうまくいくかは知りませんが。



 よくよく考えてみると、この発展の流れというのは、実は名古屋ができた頃の発展の流れに似ている。そのころは江戸時代だったので別に「工業」地区というイメージでそうなったわけではなかったのだが、名古屋城から城下町が南に延びていき(海と東海道があるから※3)、現在の本町通りがずーっと南に繋がっていくことで、街が発展していったのだと聞いたことがある。
 街と街を繋げるのが人のサガということで、名古屋城から伸びる本町通りを熱田神宮まで伸ばしたようだ。現在の本町通りは、その中間点ぐらいで国道19号線に接続し、終わってしまうわけだが。


 そんな変遷の地図をどこかで見た記憶があるが、どーにも見つからないので図書館で資料をあさっていたら、こんなのを発見した。

 「地図でみる名古屋の市街地の変遷」(※4)

 なんと、上でも使っている「建物用途別現況図」の変遷をまとめた資料なのだ!何を驚いているのかと言えば、大正時代(1920年)からの名古屋市の用途別現況図を6枚(正確には戦災消失区域図が1枚なので5枚だが、戦災地区も現況といえば現況)も収納している優れもの。

 これの1920年の地図はSimCityでの再現スタート時に近い地図ということになり、これで名古屋城から南へ開発を進める、ということを正当化することが出来たことになるわけだ。


※2:工業地帯は名古屋市外にあるのよね、結構。これは立地論の都合などもあるけど。



















※3:東海道五十三次の宿場町の一つ、宮(熱田)がある。次の桑名まで海路を使うため、ここで一泊して、次の日に「七里の渡し」から桑名に渡ったという人が多いらしい。熱田神宮の膝元に広がる宿場町であり漁港であり商業地。現在の熱田区周辺。


※4:名古屋市の大正9年(1920)、昭和13年(1938)、昭和30年(1955)、昭和46年(1971)、昭和61年(1986)の建物用途別現況図と、昭和30年(1955)の戦災消失区域図と、説明用の冊子が専用ケース入りで価格15,000円!という代物。
名古屋市都市整備公社 編、1991年出版
濃い部分が工業地区だそうです。
持ち出し禁止なので白黒コピーだけど原盤はカラーよ
(名古屋都市計画建物用途別現況図 大正9年版より)

ちなみに、
元々名古屋城の城下町と熱田神宮周辺「熱田」は別の街だった。実際、名古屋が「市制」を施行した明治22年当時は名古屋城周辺だけが「名古屋」だったのだ。熱田が名古屋になるのは明治末期。そこから市域を広げていき、今の名古屋になったのだ。

さらにトリビア的にちなみに、
名古屋の城下町自体は、清洲と呼ばれる名古屋の北西地区から城下町ごと引っ越してきて(これを「清洲越し」という)始まった。
熱田神宮自体は素盞鳴神(スサノオノミコト)の時代からある1900年近くの歴史あるものので、名古屋城下町とは関係がないと言えば関係がないのも当たり前である。まぁ、時代が経てばそうも言ってられないのだが。

 たまたまだろうが、史実と同じように街を作ることになるとはね。これが都市軸というもののもつ力なのだろうか?

 さてどうシミュレーションは動いてくれるか・・・・住宅から遠すぎて行けないよぅとかいわれたりね。


参考文献
 シムシティ3000公式戦略ガイド
 地図でみる名古屋の市街地の変遷
 名古屋城
 名古屋いまむかし
 名古屋の城下町
 



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