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アメリカの交通事情 | ||||
(02/09/20) | ||||
SimCityといえばアメリカ。アメリカといえば車社会だ。 SimCityもそんな世相を反映してか鉄道がとてもショボい。なぜここまで鉄道がショボいのか、そしてアメリカの交通事情はどうなっているかを確認してみたいと思う。 みなさんはアメリカが車社会であることはご存じだと思う。その理由も大体想像がつくだろう。方や日本はというと鉄道社会とまではいかないまでも(世界有数の鉄道社会ですけど)、特に大都市周辺の多くの人が鉄道を利用する。 アメリカでは通勤も車が多い。 とはいっても大都市なら鉄道で通勤する人も多い。それは鉄道の方が便利だからとか、車を持っていない労働者も多くいるという理由がある。都市の構造もそのようになっていて、都市の中心から近い住宅街は貧しい労働者たちが住んでいるので公共交通機関を利用するしかないからだと言える。かたやちょっと離れた郊外に住んでいる富裕層の人は車を持てるし車を置いておくスペースがあるので、車で通勤することもしばしばで、郊外(住宅街)が面的に広がっているので公共交通機関が配置できないと言う理由もある。 日本では「山国(やまぐに)」という国土上の理由からもあるが、大都市周辺は鉄道沿線に宅地が開発されることが多い(A列車で行こうシリーズはまさにそれを地でいくような感じだ)。大阪の千里ニュータウンがまさにそれで、鉄道沿線に開発された。もっとも、高度経済成長に伴うモータリゼーション※1)化が進んだため、鉄道に依存しないニュータウンも登場してきたのではあるが、やはり鉄道のアクセス性は日本で住宅を選択するときには大きなウェイトを占める。 ニュータウン論ではないのでこれ以上深い話は置いておくが、都心に通勤・通学で鉄道を利用するという割合はかなり多い(通学は当然だが、笑)。 しかしアメリカではSimCityのように道路が主体だ。安いガソリン、大規模な自動車産業、といった理由もあるが、前述したように広大で平らな土地の為都市の中心から色々な方向に広がりすぎて鉄道でカバーできない場所が多いという日本とは異なる土地事情も関係する。それだけ自由を許しているというよりも日本が山で開発できる場所が少ないからそう感じるだけとも言える。とはいっても現代では日本もその流れに追従してしまった方向にモータリゼーションが進んで問題が大きくなっている(就業地へと続く渋滞なんかがその例)。 アメリカの道路中心主義を示すのにこんなエピソードがある。アメリカ人に自宅までの案内図を書かせたらフリーウェイを基点に書くらしいが、日本人は駅を基点に書くらしい※2)。また、英語圏ではそうなのですが、道路に名前が付いていて、それで案内するが、日本では交差点の名前で案内する。といった風に「道路」に意味を持たせるのがアメリカと言える。 そんな感じでアメリカの都市は鉄道を必要としていないように思われがちだが、現在はそうも行かなくなっているのが現状のようだ。それはSimCityが登場してきた時代と関係する。 SimCity classicが登場したのは1989年のことだ。そのSimCityを形作る都市理論はどこから来ているかを考えてみれば1980年代のことと見て間違いないだろう。 この時代、アメリカでは合衆国内を巡るインターステートハイウェイがほぼ全線開通し、鉄道の経営悪化と重なり本格的な車社会へとシフトしていった。乗用車保有台数は1960年から1990年にかけて3倍となり、道路整備自体はほとんど完了してしまっただけに多くの問題を引き起こす結果となった。 その頃(というか今も)アメリカで悩まされている自動車社会の問題は「大気汚染」、「渋滞」、「交通事故」、「エネルギー消費」、「スプロール化※3)」、「道路の荒廃」などが上げられる。
そんなアメリカの実際はどうだったのか、前述した自動車問題をまとめておく。 |
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こうやって見ているとアメリカはガンガン車社会が進んでいるように思われるかもしれないが、近年は急速に変わりつつある。それというのも、上述したような問題がかなり社会的大きさを持ち、環境問題(CO2削減とか、エネルギー枯渇とか)との兼ね合いにより車社会を見直そうとしているのである。 具体的に言うと、交通量のコントロール(TDMというが省略)と共に、ヨーロッパに習って公共交通機関の整備を行っているのである。アメリカの公共交通機関、特に鉄道はかなりの歴史を持つが、第二次大戦以降、航空機やトラック輸送などにシェアを削り取られてしまって衰退したまま現在に至る。その歴史はまた別で行うが、ただ手をこまねいているワケにはいかなくなった時代の変化がある。 アメリカの都市は道路と共に成長してきたといってもいい。広い道路、大きな区画、歩車分離、近隣住区※4)といった技術を用いた住宅街。自在に、しかも無料に移動できるフリーウェイ。郊外の庭付きの広い家。・・・20世紀中盤、アメリカは様々な車対応型の都市変化を見せてきた。 しかしその実、先ほども説明したような慢性する渋滞、都心に増える駐車場、車でしかいけない郊外の大型ショッピングセンター、自動車に分断されたコミュニティ、石油の値段で恐々する社会・・・・車による移動は車を持てない人との貧富の差をさらに拡大し、どこにでもいける自由が、空っぽの都市を作り出した。 自動車社会という夢を追い求めた現実は、砂漠化のように拡大し、今やその対策ばかりに頭を悩ませなければいけなくなった。 アメリカ文化に追従する日本も同じ道を歩んでいると言えるのかもしれない。 |
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※1モータリゼーション・・・自動車が生活の中で大きな存在になるほど浸透してしまうこと。最近は車社会化しているのであまり言わないか。 ※2天野光三・中川大 編 「都市の交通を考える」より ※3スプロール化(現象)・・・たぶん社会科で習うと思うけど、虫食い状態(蚕食という)で秩序のない広がりを見せる都市開発のこと。自動車がなければ交通アクセス(すなわち鉄道)の良いところに立地したが、自動車のおかげで「安い」「要求に見合う土地」が先に開発されるようになり、ぽつぽつと開発されたり開発されない土地が出来るようになった。都市全体から見ると機能を集約できないのでコントロールしにくく、問題も起きやすい。 ※4近隣住区・・・C.A.ペリーが唱えたコミュニティ概念。大都市ではなくなってしまったコミュニティの再生を行うために、学校を中心として住宅街を形成するという、地区レベルで住居や公共施設や道路(幹線道路は住区の外側に)配置のあり方を示したと言われている。 |
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参考文献:「ウィル・ライトが明かすシムシティーのすべて」、「クルマ社会アメリカの模索」、「都市計画概論」、「都市の交通を考える」、「交通まちづくりの時代」、「まちづくりのための交通戦略」 |
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