■■田園都市の例■■
ハワードの提唱した『田園都市』思想は実際の都市計画に使用された。多くの都市計画提案というものは実現しないものであったが、ハワードの提案は、彼の現実主義と強烈な行動力によって実現した。1899年に田園都市協会が設立された。
【レッチウォース】
新進計画家トーマス=アダムス(Thomas=Adams、1871〜1940)とレイモンド=アンウィン(Raymond=Unwin、1863〜1940)により実際の計画が進められた。
1913年、第一田園都市株式会社が設立され、ロンドンの東北約50kmのレッチウォース(レッチワース、Letchworth)の地が選ばれ、極秘のうちに土地を買収した。その設計人口は3万人として、巧みに地形を利用した曲線的なものであり、アダムスの設計により専門的手法である。
はじめ、5%の金利では人が集まらず、政府の援助もなく、やっと購入した土地も開発業者がなかなか集まらなかった。幾多の困難ののち、住宅建設は公営住宅と公社、田園都市会社自身の手により、工場進出は遅れながらも、田園都市は実現された。
【ウェルウィン】
1920年、ロンドンの東北約35kmのウェルウィン(Welwyn)計画人口5万人。第2田園都市株式会社がハワードの提唱で設立された。設計はアンウィンである。
この頃になると、住宅の設計も次第に巧みになり、19世紀後半以後、特にドイツで発達、流行した設計が採り入れられている。
この間に都市住宅建設法が制定され、政府の援助もでるようになり、また田園都市への理解も深まっていたため、今度はスムースにすすんだ。
ウェルウィンのプランをみると、中央に鉄道駅、駅前に大通り公園とその周囲に事務所・店舗・公共施設や学校がある。工場は、その反対側にまとまってあり、全体的にみると、労働者住宅(テラスハウスが多い)が工場ゾーンをとりまいている。公共広場側には大規模住宅(戸建・二戸建)が多くなっている。
ここ、ウェルウィンは「ウェルウィンガーデンシティ(ウェルウィン田園都市)」という都市名で、ハワードの思想が生きた唯一の田園都市だと言う人も少なくはない。
二つの都市の実験は、クル・ド・サックなどの細かいテクニックとしては、その後の郊外団地で見習われて来た。しかしその田園性、自立都市としての工場立地や土地の共有など基本的理念は生かされたとはいえなかった。それはアメリカの実践を経て、再びイギリスへ戻り、第二次大戦後のニュータウン建設まで待たねばならなかった。
ちなみにこの二つの都市は、イギリスにおいて長寿都市No.1、No.2となっている。都市内で需供給がとれているわけではなかったが、確実に、ハワードの理念が浸透した結果ともとれる。
画像引用:都市計画の潮流